最高裁判所第一小法廷 平成7年(あ)872号 決定 1995年11月14日
本籍・住居
埼玉県朝霞市東弁財二丁目一八番地の一一
無職
岡加津子
昭和一二年五月一七日生
本籍
大阪府高槻市月見町九三五番地の一
住居
東京都新宿区歌舞伎町二丁目四五番七号 石井ビル四階B室
元会社役員
小山昌宏
昭和一五年二月一六日生
右の者らに対する各所得税法違反被告事件について、平成七年七月二四日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、各被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
本件各上告を棄却する。
理由
弁護人奥田保の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 遠藤光男 裁判官 小野幹雄 裁判官 高橋久子 裁判官 井嶋一友)
平成七年(あ)第八七二号
上告趣意書
所得税法違反 岡加津子
右同 小山昌宏
右の者らに対する頭書被告事件につき、上告した趣意は左記のとおりである。
平成七年一〇月二五日
弁護人 奥田保
最高裁判所第一小法廷 御中
記
被告人両名に対する原判決には、(1)最高裁判例違反があるばかりでなく、(2)被告人両名を有罪とした事実認定につき、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があり、これを破棄しなければ、著しく正義に反するものであり、(3)仮に右主張が容れられず、被告人両名が有罪であるとしても、被告人両名を懲役刑につき実刑に処し、被告人岡加津子については高額の罰金刑を併科した第一審判決を是認し、控訴棄却を言い渡した原判決は、その量刑著しく重きに失し不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するから原判決を破棄の上、より寛大な判決がなされるべきである。以下、その理由を摘記する。
Ⅰ 判例違反の主張について
被告人小山昌宏が、岡千文(現姓辻本千文、以下岡千文とする。)に宛てた信書四七通の書証としての取調べ請求を却下した第一審決定を是認した現審判決には最高裁判例違反がある。
第一審(第一六回公判)において、弁護人が判事訴訟法三二三条三号書面として取調べ請求した被告人小山昌宏の、被告人岡加津子の次女岡千文宛信書合計四七通、現裁判所が右信書はいずれも刑事訴訟法第三二三条三号書面に該当しないとして取調べ請求を却下した訴訟手続を適法として是認したのは、後記のとおり最高裁判例違反である。
刑事訴訟法第三二三条三号は「前二号に掲げるものの外、特に信用すべき情況の下に作成された書面」と規定している。この特信性は、絶対的な外部的客観的に作成の真正が保障される事由をいうと解される。従って刑事訴訟法第三二三条一項二号後段の相対的特信性よりは数段高く、同条一項三号の絶対的特信性よりも相当高いものと言わねばならない(証拠能力の付与の難易にとどまらず、証明力が格段に異なり、本条書面のほうが高い)。具体的には、供述態度の自然性、供述内容の自然性(真実性)、供述者の良心性、供述内容の真正保持の義務性、書面の公示性、供述の供述者にとってその不利益性のほかに、供述者(作成者)の公平性、供述者(作成者)の事件とその無関係性などの点から、記載内容の真実性が客観的に担保されている書面であることを要する。刑事訴訟法第三二三条は、そのような要件を具備しているものとして、一号乃至三号に規定された書面に、無条件に証拠能力を与えている(石丸俊彦・仙波厚・川上拓一・服部悟共著「刑事訴訟の実務」新日本法規出版(株)。一八七頁以降参照および石丸俊彦著「刑事訴訟法」(株)成文堂。三六五頁以降参照)。
そして、最高裁判所も「服役者とその妻との間における一連の信書として特に信用するべき情況の下に作成された書面認定した第一審の判断を正当として是認することができ、経験則その他に違反した違法は認められない。」として、服役者からその妻に宛てた信書に証拠能力を認める判断を下している(最高裁判所第一小法廷・昭和二九年一二月二日判決、刑集八・一二・一九二三)。
しかるに、第一審における、被告人小山昌宏が、被告人岡加津子の次女岡千文に宛てた信書合計四七通を、同法第三二三条三号書面に該当しないとして取調べ請求を却下した訴訟手続を是認した原裁判所の判断には右掲記のとおり、重大な最高裁判例違反がある。右最高裁判例違反が、現判決に特に重大な影響を及ぼすことは、以下のとおりである。
本件の新宿形成外科クリニック(以下「新宿形成外科」という。)および新宿千代田形成外科(以下「千代田形成外科」という。)の両医院の経営者は被告人小山昌宏であり、このことは第一審公判廷から被告人岡加津子、被告人小山昌宏両名が正直に供述しているところである。
ところで、第一審は、被告人両名の供述を補強する間接事実に関する書証として当弁護人が証拠申請した信書(被告人小山昌宏が、被告人岡加津子の次女岡千文に宛てた信書四七通)を、刑事訴訟法第三二三条三号書面に該当しないとして却下したものであるが、原審は「弁護人は、これを被告人小山が本件当時新宿形成外科などの実質的経営者であったことを証明するという立証趣旨で、刑訴法三二三条三号の書証として証拠申請したところ、第一審は同号に規定する書面には該当しないとしてこれを却下し、原審弁護人からあらためて非供述証拠として申請された後、これを採用して取り調べている。右の手紙が刑訴法三二三条三号にいう特に信用すべき状況の下に作成された書面にあたると認めるべき資料は存在しない。また本件の事案は、所論が援用する最高裁判例(最高裁昭和二九年一二月二日第一小法廷判決、刑集八巻一二号一九二三頁)の事案とは異なっている。したがって、原審がこれを当時の被告人小山の言動及び心情を証明するための非供述証拠として採用するにとどめたのは相当である。論旨には理由がない。」として一審判決を是認しているが、第一審において当職作成の報告書(一)および(二)、被告人小山昌宏の平成五年一〇月四日付上申書並びに被告人岡加津子の次女岡千文の上申書(一)乃至(七)のいずれも第一審検察官が信用性も争わず同意の上、取調べられており、また、岡千文の公判廷証言、さらには、信用性が争われてはいるが、被告人岡加津子の上申書(一)乃至(四)、並びに鬼塚奏の平成六年一月二一日付上申書などをつぶさに検討すれば、これらの証拠が実体的真実を如実に反映し、そこには、被告人両名の公判を意識した不自然さや、不合理性は見られず、真実を物語っていることが明白であり、被告人小山昌宏の岡千文宛四七通の信書が特に信用すべき情況の下に作成された書面にあたると認めるべき資料となりうると解する。
また、原判決は「最高裁判例(最高裁昭和二九年一二月二日第一小法廷判決、刑集八巻一二号一九二三頁)の事案とは異なっている。」と断じているが、これは右事案の被告人と同人の妻との間の手紙のやり取りであって、本件事案は被告人と被告人の姪との間でのやり取りである。これらはいずれも同様に拘束中の差出人とその近い親族間での手紙のやり取りであって、さらに、どちらも公判を意識した不自然さや、不合理性は見られず、共に身柄を拘束されており、身柄の介護機関により手紙の検閲を受ける立場であるもので、かたや被告人の妻なら良く、かたや被告人の姪ではいけないとする合理的理由は示されてはおらず、いやしくも、控訴趣意書において訴訟手続の法令違反が主張されているのにもかかわらず、この点を合理的に判示できず、ただ「事案とは異なっている。」と判示するのみであって、これらの点からしても、最高裁判例違反は明らかである。
これら一連の信書の内容をみると、被告人小山昌宏が、新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科の両医院の経営方針、さらに運営資金の調達、管理、返済方法および両医院の医師、看護婦、事務員の採否、退職、給料、休暇およびその取らせ方、御中元・御歳暮の送り先やその内容(品物、金額に至まで)、新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科の両医院の広告の取り方、出し方、特にその広告内容の発案、推敲、制作迄の全てを監督管理し、それも極めて詳細に指示、命令し、あまつさえ、その詳細に指示命令したことを、忠実に励行したか否かを東京拘置所まで面会および書面で報告させ、また、その指示内容によっては、必要書類を提出、差し入れさせるなど、東京拘置所に勾留されてまでもなお、厳然と新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科の両医院に関し経営手腕を振るっていることが認められ、所得税法違反で逮捕・勾留されなければ、被告人小山昌宏の新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科の両医院における権力はなお一層絶大であったと容易に推認し得るところである。
被告人小山昌宏の実体の一部分しか反映していないこれら信書を見てさえ、新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科の両医院の経営者でなければ、到底発信できないような内容であり、これら一連の信書を書証として採用して証拠調べすれば、新宿形成外科クリニックおよび新宿千代田形成外科の両医院の経営者は被告人小山昌宏であることが明白に推認されるものであると言わざるを得ない。
以上のとおり、被告人小山昌宏の信書に関する第一審の訴訟手続の法令違反を是認した原審の最高裁判例違反が事実誤認を招来させた大きな要因をなしているものであり、判決に重大な影響を及ぼすことは明らかで、これらを破棄しなければ著しく正義に反する。
Ⅱ 事実誤認の主張について
原判決は、被告人両名の本件各控訴事実につき、いずれも有罪との第一審判決を是認したが、右は原審取調べ済の関係各証拠によっても事実誤認が明白であるから被告人両名は無罪であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反する。
第一 第一審判決認定事実第二についての原審判示について
一 新宿形成外科の関係について
(1) 右に関する原判示によると「新宿形成外科の昭和六一年から昭和六三年分の診療収入が同医院の経営者被告人岡和彦に帰属し、千代田形成外科の昭和六二年、昭和六三年分の診療収入が同医院の経営者被告人岡加津子に帰属していたことは明らかであって、原判決には所論のような事実の誤認は認められない。」としており、その理由として、「たしかに、被告人小山は、新宿形成外科に関し、本件各事業年度の以前から、事務長として医療行為を除く医院運営業務全般を担当し、医師、看護婦の人事などを行い、また、千代田形成外科に関し、設立段階から開業資金の借入や入居ビルの賃借手続、医師・看護婦などの人事、広告掲載関係の業務を一人で行っていたほか、両医院の診療収入の一部を除外、保管し、その中から非常勤医師らにいわゆる簿外給料を支払い、被告人加津子の必要に応じて和彦の報酬とは別に現金を手渡して仮払金として経営処理し、除外した診療収入を多額の勝馬投票券の購入や株式投資の資金に充当していた。」と判示し、また、「被告人小山は、和彦及び被告人加津子からそれぞれ新宿形成外科及び千代田形成外科の事務長に選任され、前述した和彦の事情や被告人加津子の義弟という立場が加わり、個別の授権がない場合でも業務遂行行為を行うことが許されていたと認められるのであるから、両医院の経理、人事などの広範な業務運営につき事業主にも比すべき行動をとっていたからといって少しも不自然ではなく、そのことの故をもって自らが両医院の事業主となり、その所得の処分権限を有することになるわけではない。」としている。
しかし、所得税法第一二条は「資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が単なる名義人であって、その収益を享受せず、その者以外の者がその収益を享受する場合には、その収益は、これを享受する者に帰属するものとして、この法律の規定を適用する。」と規定している。この規定は、所得の帰属につき名義又は形式とその実質とか異なる場合には、その名義又は形式にかかわらず、これを経済的、実質的に観察して事実上これを享受する者の所得として所得税を課税するといういわゆる「実質所得者課税の原則」を資産又は事業から生ずる所得の帰属者について明らかにし、従来から法律の趣旨として解釈されてきたところを宣言、確認したものである。ところで、この「資産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者がその収益を享受しないで、その者以外の者がその収益を享受する」とは財産権者であり、また事業の名義人となっている等、通常であればその財産又は事業から生ずる収益の法律上帰属するとみられる者が実際にはその収益を取得しないで、その者以外の者がその収益を直接取得していることを言うものである。所得税基本通達一二-五は、生計を一にしている親族間における事業(農業を除く。)の事業主がだれであるかの判定をする場合には、当該事業の経営方針の決定につき支配的影響力を有すると認められる者が当該事業の事業主に該当するものと推定するとしている(税務大学校、平成七年度版 所得税法講本、三九頁以降参照、)。
本件被告人小山昌宏は、大阪在住時に事業に失敗し、姉の加津子を頼って上京し、転々としていたが、昭和五三年一月頃、岡和彦に居候という感じで面倒を見てもらっており、岡和彦が昭和五五年九月に新宿形成外科を開業するにあたり、以前の交通事故の影響で岡和彦一人では無理なので、被告人小山昌宏が同医院の開業に深く関与し、実際にも医療以外の全ての事務関係を担当することになってはいたが、自己の学習塾の関係で、帳簿付けなどの経理面だけは岡和彦医院長にやって貰っていた。しかし、岡和彦医院長が医療に専念したいという申し出に、昭和五七年九月頃から経理面も被告人小山昌宏が行うようになった(検察官が同意して取調べられた被告人小山昌宏の平成五年一〇月四日付上申書及び第一審における平成四年一〇月九日の第三回公判廷供述)。また、被告人小山昌宏は、岡和彦が昭和五八年ノイローゼとなってからは新宿形成外科の実質的な支配力、影響力を有することとなった。そして昭和五九年に岡和彦医院長が診療並びに経営もできない状況になり、岡和彦医院長の申し出により、被告人小山昌宏が岡和彦宅で夜やっていた学習塾をたたみ、岡和彦医院長がいわゆる、雇われ医院長という形になる頃まで岡和彦宅に同居していたものである。以上のことから、少なくとも、昭和五八年岡和彦医院長がノイローゼとなってからは、被告人小山昌宏が右所得税基本通達一二-五によっても、新宿形成外科の「事業主に該当するもの」に至ったと解される。さらに、被告人小山昌宏は、昭和五九年に岡和彦医院長の申し出により、同人から経営権の譲渡を受け、新宿形成外科の単独経営者となったものである。
(2) また、原判決が「被告人小山が診療報酬を除外して競馬などの個人的な遊興費に充てていたことも、犯罪行為にこそなれ、同被告人が両医院の経営者であることの証左となるものではない。」と判示している点については、もし仮に岡和彦が医院長であったならば、被告人小山昌宏が数年間にわたり常時診療報酬を岡和彦医院長に隠れて除外し、その額がこれほどまでに多額に及べば、以前、豊島整形外科医院を経営していた岡和彦医院長が気付かないはずはなく、新宿形成外科の利益および医院長としての収入に全く興味を示さないことなどあり得ないものである。岡和彦医院長としては、被告人小山昌宏がいくら義弟であるとはいえ、単なる事務長にとどまるのであれば、診療報酬の除外を注意しないということは通常考えられないものである。このような社会常識からしても、被告人小山昌宏が事務長ではなく、新宿形成外科の経営者であり、岡和彦医院長はただ単に雇われ医院長であったが為に、新宿形成外科の利益増大および利益増大にともなう医院長としての収入の増加に全然興味を示さなかったものであり、医院長としての収入は被告人小山昌宏のあてがい扶持であったものである。まさに被告人小山昌宏こそ、新宿形成外科の単独経営者として利益の大幅増益等に腐心していたものである。
原判決が前述のとおり「被告人小山が・・(中間省略)・・経営者であることの証左となるものではない。」と判示しているが、社会通念上並びに社会常識からしても、新宿形成外科の経営者は被告人小山昌宏であり、岡和彦医院長はただ単に「雇われ医院長」であったことは明白であり、被告人小山昌宏が経営者であることの証左は十二分にあると考える。
(3) 以上のほか、控訴趣意書記載のとおり、原判決においては新宿形成外科の経営者は亡き岡和彦が経営者とされ、確定申告すべき立場にある同病院の所得の帰属者とされているものであるが、被告人小山昌宏が真実の所得帰属者であるから、判示事実第一の各認定事実はその前提を欠き、被告人両名とも無罪というほかはない。
二 千代田形成外科の関係について
(1) 右に関しても、原判決は、新宿千代田の経営者は、被告人岡加津子であり、同病院の所得の帰属者は、同被告人であるとして、事実認定した第一審判決を是認しているが、関係各証拠によれば、同医院の経営者もまた被告人小山昌宏であると認め得るから、被告人両名とも無罪である。
原判決は「被告人小山は、昭和六二年に入り、新宿形成外科の患者数が更に増え、患者の中には玉入れ手術(陰茎部にシリコン球を付着させるもの)を希望する者が多く、右手術により売上が増大することから、和彦に右手術の再開や分院開設を進言したが、いずれも拒否されたため、被告人加津子に自ら新たに医院を開設することを勧め、被告人加津子は、銀行融資を得て同年七月、新宿形成外科に隣接する千代田ビルの一室を借り、自ら代表者の肩書入りの名刺を作り、他の医師の名義を借用して千代田形成外科を開業した。その際、被告人小山は、同医院の事務長として銀行融資の手続、入居ビルの賃借手続、医師・看護婦らの採用などの業務全般を取りしきった。」とし、また「被告人小山が診療報酬の除外は、・・(中間省略)・・。千代田形成外科については被告人加津子と意を通じて行っていたのであるから、所論の根拠とはならない。」としている。さらに「千代田形成外科は被告人加津子が実質的債務者として銀行から開業資金の融資を受け、千代田ビルの一室を賃借して開設した医院である。そして、被告人小山は両医院の諸経費を全て両医院の収入の中から代表者名義で支出しており、被告人小山が個人的に負担したことを窺わせる資料はない。また、被告人小山は本件脱税対象年分の両医院の確定申告を・・(中間省略)・・。千代田形成外科については被告人加津子の各名義でしている。もとより、被告人小山が和彦及び被告人加津子から各医院の営業権を譲渡されたことをうかがわせる資料は全く存在しない。」と判示している。
(2) しかし、被告人小山昌宏は昭和六二年頃、陰茎部にシリコンボールを付着させることを目的とする医院を開業するにあたり、場所探しをしていたものであるが、たまたま新宿形成外科の隣の千代田ビル三階が空いており、折よく新宿形成外科の隣という大変便利のよい場所であったため、少し狭かったが、千代田ビル三階で、同年七月から新宿千代田形成外科を開業したものである。開院当初は一週間のうち、火・木・土曜日の三日間を診療日とし、新宿形成外科に勤務していた竹田医師の母親の友人である「大友」という名の七〇歳位の女医をいわゆる「雇われ医院長」として毎月手取り三〇万円という給料で雇い入れたものである。
また、被告人小山昌宏は、同年一〇月から末延自顕医師を毎日、常勤として名目上副医院長という形で雇い入れ、それまでの週三日間から月・水・金を新宿形成外科の医師を新宿千代田形成外科に回し、月曜日から土曜日まで診療できるようにしたものである。さらに、新宿千代田形成外科関係の取引銀行との交渉、通帳の出し入れ等、全て被告人小山昌宏の責任においてなしたものであり、新宿千代田形成外科の名義だけは姉を立てるということで、「岡加津子」名を使い、初め必要書類や銀行印は岡加津子の実印を使用していたが、実印では困るので、近くのヤマニという文房具屋で注文した別の印鑑を作ったものである。被告人小山昌宏は、その印鑑で通帳の出し入れおよび支払い等に使う小切手などに、使用していたものである(第一審における平成五年一二月一五日の第一三回公判廷供述)。
(3) 一方、第一審における平成五年四月一五日第六回公判において、当時の舟橋弁護人等と被告人岡加津子に以下のような質問・応答がある。
「それは六二年にオープンした新宿千代田形成外科、今度は経営者はあなたですか。」「はい。経営者というか私は経営はできないと言ったら。」「名義上ですね。」「はい。」「それらの実質的な経営者も小山さんになるんですか。」「はい。もう初めからそういう約束でしたから。」裁判長「そういう約束だった。」「はい。経営は自分がやるというふうに。私は経営者はできませんというふうに言いましたから。じゃ、全部やってあげるよという感じでした。」弁護人(舟橋)「新宿千代田形成外科のほうはオープン後に大友先生というお医者さんが責任者ではなかったですか。」「責任者で、結局ビルを借りたのも大友先生のような感じになってましたね、後でみましたら。」「じゃ、あなたは。」「私は、ただ納税の名義人になってました。」・・(中間省略)・・。
裁判長「あなたの経営と言うのは運営じゃないの。」「・・・運営と経営ですか。」弁護人(舟橋)「病院の切り盛りしてたのはだれか、と言うことですが。」「小山です。」・・・(以下省略)。
(4) さらに平成五年一二月一五日の第一三回公判において、弁護人の質問に、被告人岡加津子は以下のとおり述べている。
「新宿千代田形成外科というのを小山が始めましたね。」「はい。」「これはいつごろですか。」「六二年の・・・。」「昭和。」「はい、そうです。昭和六二年の・・・七月か・・・。」「それについては、どういうことで小山が始めるようになったんですか。」「私に持ってきたお話では、主人がボールとか玉入れとかそういうものに対しては、もうしないって断言して、自分はそういうのは趣旨じゃないからと言いはじめて、それで・・・。」「岡和彦さんがね。」「はい、そうです。それで手術をしてくれないので。」「患者は一応来るということですか。」「はい、患者は来るので、明文館の人なんかと話していて、もう随分患者さんが来てほしいということを聞いておりましたから、それをこのままいくと、将来包茎だけでは生計が成り立っていかなくなるだろうという話で、新しく病院を作って、そういうのだけをする医院を作りたいと。」「小山が言ってたんですか。」「はい。」「場所の選定とか医者の雇入れとか、そういうことは全部がやるということだったわけですか。」「ええ、もちろんわたしは何もできませんので、名前だけというあれで。」「一応税務署へ出す開業届、これだけは岡加津子さんの名義にしたんですか。」「はい。」「院長は誰にしたんですか。」「院長も私は会ったことがないんですければも。」「小山の話だと誰ですか。」「大友先生。」「大友医師というのは、雇っていたんですか。」「・・・。」「新宿千代田形成外科で雇っていたかどうか分かりますか。」「雇っていたと言いますと。」「院長として名前だけ借りていたのか、一応新宿千代田形成外科のほうに来てもらっていたのかどうか。」「そこはちょっと分かりません。」・・(中間省略)・・「樋口さん以外には医者も看護婦さんのことも誰が来てて、どの程度の給料出しているとか、そういうことは全然分からなかたっですね。」「はい、それは分かりません。」・・(中間省略)・・「毎日とかあるいは毎月の新宿千代田形成外科の収支状況、この報告を誰かから受けたことがありますか。」「ありません。」「税務署に対して確定申告をしますね。」「はい。」「これは誰がやっていたか知っていますか。」「今は知ってますけど、その当時は全然知りませんでした。」「全部被告人小山がやっていたわけですね。」「はい。」「税理士と相談して。」「はい。」・・・(以下省略)。
(5) これらの問答を検討すると、千代田形成外科の開設については、明らかに被告人小山昌宏の意思によって行われており、被告人岡加津子は自己の名義を貸しただけで、千代田形成外科の経営等については、何らも知らず、また知識も、認識もなく、ただ、自己が千代田形成外科の名義上の経営者であって、それが被告人小山昌宏が、給料をくれていたと、単純に思っていたものである。
(6) 以上のほか、控訴趣意書記載のとおり、原判決は、新宿千代田の経営者は、被告人岡加津子であり、同医院の所得の帰属者は、同被告人であるとして、真実認定しているが、関係各証拠によれば、同医院の経営者もまた被告人小山昌宏であると認め得るから、被告人両名とも無罪である。
三 両医院についての被告人小山昌宏の経営者性について
(1) 原判決は「被告人小山は、和彦や被告人岡加津子からそれぞれ両医院の経営について委任を受け、その権限に基づき両医院の経営に当たっていたとみるのが相当であり、被告人小山が本件起訴後、千文や広告会社の社長に宛てた多数の手紙で新宿形成外科の経営や広告に関して指示をしていた点も、右のような立場でしていたものと理解するのが相当である。」は判示している。しかしながら、原判決は、第一審判決中の補足説明中、二の<7>において、「千代田形成外科の開設は、被告人小山が診療収入の増加を目指したものであるが、自らが銀行から借入れたり、医師の招へいなどを行うだけの資力も信用もなく、結局加津子に開設を勧め、加津子自身が自らの経営判断で資金を借入れ、建物を賃借し、開業したもので、その経営については新宿形成外科同様の強い関心を抱いており、その後被告人小山に経営の一部又は全部を委譲した形跡も認められないこと」との事実認定をしていることとは、まさに真っ向からぶつかり合っている。このように言わば相反する事実を前提としながら、被告人小山昌宏が経営者でないとの同一の結論を導いているものである。
これは一体何故であろうか。甚だ理解に苦しむものである。
この点からも、第一審判決及び原判決が被告人両名を有罪とした事実認定をしているのは、まさに事実誤認と言わなければならない。
Ⅲ 量刑不当の主張について
弁護人は、基本的には被告人両名の無罪を主張するものであるが、前述の各主張が認められないとしても、被告人岡加津子・被告人小山昌宏につき以下の事情が存するので、被告人両名について、一審判決の量刑を是認した原判決は、著しく正義に反し、破棄されるべきである。以下、その理由を摘記する。
<1> 被告人岡加津子の情状について
被告人岡加津子についての第一審の検察官の論告中には、「さらに、ほ脱所得が一三億円以上に上りながら、発見された割引債券などはその額を大きく下回るものであり、被告人両名において、未だ六億円以上の資産を隠匿していることが強く推認される状況である。かかる事情に照らせば、被告人両名に全く改悛の情ないことは歴然としており、犯情は極めて悪質であって、被告人両名に対しては、その犯した犯罪の重大さを身をもって感じさせるべく、厳罰を科すとともに、加津子に対しては罰金を併科すべきであると思料する。」(第一審論告三〇、三一頁)、また、「さらに、加津子は、・・・(中間省略)・・・、ほ脱所得のうち、いまだその使途が判明していない約六億六〇〇〇万円についても、加津子が取得し、右同様の用途に費消している可能性が極めて高く、本件において、ほ脱所得の大半を取得したのは加津子であって、その利得は、稀にみる高額に上っていると思料される。以上の事情に照らせば、加津子の刑責は極めて重大であると言うことができ、同人に対しては、前述のとおり、厳罰をもって臨むべきである。」との主張がある(第一審論告三二・三三頁)。
さらに、第一審判決は右検察官の主張に基づき、量刑の理由、二において「更に、被告人加津子についてみると、同人に直接カルテの抜き取りこそしていないものの、新宿形成外科においては経営者の妻として千代田形成外科にあっては経営者自身としての各立場から両外科の従業員である小山に指示、あるいは許諾を与える地位にあったもので、両外科の事業展開は実質小山に負っていたとしても本件脱税に関し小山に優るとも劣らぬ主体的役割を担っており、実際、ほ脱所得の中から「仮払金」と称して数億円に上る金額を小山から受領し、費消したものである。にもかかわらず、同被告人は自らの本件脱税との関わりを強固に否定し、公判で本件所得がいずれも小山に帰属するものであったと成り振り構わぬ弁解を繰り返している。これらの犯情にかんがみると同人の刑事責任は重いといわざるを得ない。そうすると、同被告人は夫和彦を監督責任懈怠として公訴提起されるに至らせたことを悔やんでいるとともに同人に先立たれ、自らが開設した千代田形成外科も本件脱税の発覚から廃業に至り、夫の跡を継いだ長男の収入に依存している現状や前記のような有利な情状を十分考慮してみても、本件脱税の程度及び態様などの悪質さに照らし、実刑は免れ難く、主文掲記の懲役と罰金の量刑が相当である。」と認定している。
しかし、この主張は原判決、第二の三の1で「関係証拠によると、被告人小山は、・・・(中間省略)・・・、除外した診療収入を多額の勝馬投票券の購入や株式投資の資金に充当していた。」と判示されているように、第一審と明らかに相違している。
第一審では、ほ脱所得の内、約六億六〇〇〇万円について、被告人岡加津子が取得し、隠匿あるいは費消している可能性が極めて高く、本件において、ほ脱所得の大半を取得したのは被告人岡加津子であって、その利得は、稀にみる高額に上っているとされているのに、原審では被告人小山昌宏が、ほ脱所得の大半を競馬および株購入に費消していると判示している。
原判決は、経営の委任なる理論を持ち出して、経営形態の変更、ほ脱所得の現実の取得者および費消状況の認定が一審と原審では、相反しているのに、何故に「被告人両名に対する原判決の量刑は止むを得ないところであって、未だ重過ぎて不当であるとは認められない。論旨には理由がない。」と断ずるのであろうか、まして量刑の前提事情において、これほどまでの変更が存する以上、懲役刑については大幅な減刑の上、懲役刑の執行を猶予し、さらに、罰金刑については免除、あるいは最大限に出来うる可能な限りの大幅な減額をしなければ、著しく正義に反することとなる。
以上の外、被告人岡加津子の健康状態が悪化していること、経済的苦境にあることなど控訴趣意書記載のとおりの事情も存するので、被告人岡加津子に対し、懲役刑につき減軽の上、刑の執行を猶予し、さらに、罰金刑については免除、あるいは最大限に出来うる可能な限りの大幅な減額をするべきである。
<2> 被告人小山昌宏の情状について
被告人小山昌宏は既に原審判決言渡し時において、第一審判決が言渡した刑期を大幅に超えて未決勾留されていたにもかかわらず、現在なお勾留中である。このような状況の下、原審判決は懲役一カ月の短期の刑期を残し、未決勾留日数の算入を行ったものである。原審裁判所のこのような判決は、被告人小山昌宏の心理的、身体的においても、不当な圧迫を与えるものであり、さらには被告人小山昌宏の上訴権をも侵害する危険をはらむこととなることは明らかである。このような原判決を是認したならば、著しく正義に反するものである。
被告人小山昌宏は、新宿形成並びに新宿千代田の経営者であって、自己の行為によって無実の姉である被告人岡加津子に多大な迷惑をかけてしまい、深く反省しているものである。そのため被告人小山昌宏は、被告人岡加津子のために、控訴、上告をなしているものである。
このような被告人小山昌宏に対し、原裁判所は、ごく短期の懲役一か月の刑期を残し、未決勾留日数の算入を行ったということであり、被拘禁者にとって、上告するのに、残刑執行僅か一か月の刑期の懲役のために、数か月におよぶ未決勾留に耐えるということは、どれほど苦しいことであるか計り知れないものである。通常、このような場合の被拘禁者にとっては、残刑執行僅か一カ月の刑期の懲役のために、数ヵ月におよぶ未決勾留に耐えることは、損をすることになると考え、上訴権を放棄しがちである。しかし、自己の行為によって無実の姉である被告人岡加津子に多大な迷惑をかけてしまったという責任感から、あえてこの苦しみに耐え、真実を訴えようとするものである。
このような被拘禁者たる被告人小山昌宏に対し、遺憾ながら原判決は、何らかの意図を持ってなされたという感が拭いきれないものがある。
原判決は、被告人小山昌宏に対し、心理的、身体的においても、不当な圧迫を与えるものであり、さらには被告人小山昌宏の上訴権を侵害する恐れが強いものである。
このような被告人小山昌宏に対し、以上の外、控訴趣意書記載のとおりの諸事情を勘案され、被告人小山昌宏に対し、速やかに職権で勾留取消の決定がなされ、原裁判所が言い渡した実刑判決を破棄しなければ、著しく正義に反することとなるのは明らかであると解する。
以上